北前船交易の歴史の中で、一番の功労者、高田屋嘉兵衛の顕彰館で、昆布の講演のご依頼を頂きました。司馬遼太郎氏の「菜の花の沖」で有名な北前船交易の高田屋嘉兵衛。この人なくして語れない北前船の歴史や文化。その顕彰館からお声がけを頂きました。社長は大喜び。。でお受け致しました。一度訪ねたかったこの会館で講演会が出来るとは・・・夢のよう!と申しておりました。
当日早く現地入り。まずは顕彰館をご案内頂きました。蝦夷地(当時の北海道の呼称)での資料も豊富に展示されていました。高田屋嘉兵衛の肖像画の原本も展示されています。高田屋嘉兵衛の持ち船の模型も沢山展示されていました。どうぞ、北前船ファンの皆さんも、一度お尋ねください。との事です。
午後1時半から3時までの予定で講演会が開催されました。地元高田屋嘉兵衛顕彰会の方々や、神戸からのお客様他、60名の聴講のお客様で、お席は満席となりました。
高田屋嘉兵衛顕彰会の会長(旧五色町町長)様や副会長、会員の方々に熱心に、真剣に、お聞きいただきました。
こちら、神戸からわざわざお越しいただきました方々と記念撮影です。そうそう、神戸シルバーカレッジの皆様です!先日、弊社の蔵も見学されました。本当にお元気で、アカデミックな皆様です。
古文書も多く展示されていました。事務局長さんのはからいで、昆布に関する資料も沢山出して、展示していただきました。
高田屋嘉兵衛が生まれた都志の浦、生まれた村、本村(ほんむら)や、貧しかった家を出て、口減らしの為、嘉兵衛が最初に働き始めたと云う新在家の地域を案内していただきました。小説に出てくる雰囲気そのままが残っているようで、初めて訪れたのに、何か懐かしい想いで、歩かせて頂きました(社長談)。
小説「菜の花の沖」を読まれた方々がきっと喜ばれるウォーキングコースが大変、整備されています。
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嘉兵衛の死後、明治に入って正五位の位を授かった顕彰碑。それは見事な顕彰碑でした。大きさにも驚きました。
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イカリが残されていました。
串本市役所五色分庁舎。北前船を模した設計だそうです。大きく帆を広げた千石船のようでした。
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小説に出てくる都志川。本村と新在家を分け隔てた川です。嘉兵衛にとってはこの川の意味がいかに大きかったことか。小説には若衆宿で詳しく書かれています。司馬さんの言葉で、「嘉兵衛は素晴らしい故郷を持った」と。50歳で隠居、すぐに都志に戻り、晩年亡くなるまでここで過ごしました。
小説「菜の花の沖」をもう一度読みたくなるような、何とも言えない雰囲気の残る街だったそうで、社長にとって忘れがたい講演旅行になったようです。本当に喜ばれて、帰ってまいりました。地元関係者の方々に大変お世話になったようで。本当に有り難う御座いました。これから昆布の歴史や文化、流通のお話をするときには、今回の講演、現地視察は大変参考になるようです。北前船交易が本当に身近に感じるようになりましたと。
高田屋嘉兵衛に、日本でも有数の名港とほめて頂く敦賀湊と都志湊、高田屋嘉兵衛とのご縁は、弊社にとりまして大切なものとなりました。今後も長く守ってまいります。本当に有り難う御座いました。心より感謝申し上げます。